レニー・クラヴィッツが語るプリンス:「彼は師であり親友、自分の一部が死んでしまったみたいだ」

レニー・クラヴィッツはプリンスとの長年にわたる友情を振り返り、共に過ごした時間の素晴らしい記憶を我々に語ってくれた。

「アフリカン・アメリカンの男がいた。肌の色は俺と同じで、俺がそうしたかったようにギターを弾いていた」と、クラヴィッツは語る。

レニー・クラヴィッツは、プリンスを自分に最大の影響を与えたひとりだと称えるだけでなく、最も仲の良い友人のひとりでもあったと言う。彼らが初めて出会ったのは1990年、『レット・ラヴ・ルール』の大ヒットの直後で、何年も世界中を回って、たくさんの深夜のアフター・パーティーやペイズリー・パークのジャム・セッションを共にプレイした。クラヴィッツはローリングストーン誌に、思いがけない死の数日後に、プリンスについての想いを語ってくれた。

プリンスを初めて聴いたのは、1979年、よく聴いていたロサンゼルスのブラック・ミュージック系ラジオ局から『ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー』がかかり始めた頃だった。曲を聴いて気に入っていたのを覚えているけど、次の年に『ダーティー・マインド』が登場するまで彼をはっきりとは意識していなかった。『ダーティー・マインド』は、俺にとって貴重な瞬間だった。アルバムのカヴァーを見るだけで、俺は想像力をかきたてられた。そこにはアフリカン・アメリカンの男がいて、肌の色は俺と同じで、やりたいと思っていた弾き方でギターを弾いていた。自分にとって一番の手本は、もちろんジミ・ヘンドリックスだったけど、この人物は生きていたんだ。目の前で活動していた。だから彼は、俺に深い衝撃を与えた。自分が行けさえすれば見ることができたんだ。

その音楽、その感情、その肌の色、その髪、バンドのメンバー、ありとあらゆるものが驚きだった。そして『ダーティー・マインド』は、単に音のレベルでも、プリンスの作品のなかでも今でも大好きな録音だ。本当にタイトで迫力のあるレコードで、ロックとパンクの要素を取り入れたファンクなんだ。ただただ本当に引き込まれた。それは、その後の『戦慄の貴公子』、『1999』、『パープル・レイン』でもそのまま続いたね。

Translation by Kise Imai

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