アークティック・モンキーズのアレックス・ターナーが、LAライフ、新作、恋愛までを語る

ロサンゼルスでの生活がいかに4月1日にリリースされたザ・ラスト・シャドウ・パペッツのセカンド・アルバムに影響を与えたか語る、アークティック・モンキーズのフロントマン、アレックス・ターナー(写真右)Christopher Anderson


アークティック・モンキーズのアレックス・ターナーが、ロサンゼルスでのリラックスした生活、サイド・プロジェクトであるザ・ラスト・シャドウ・パペッツの再始動について語る。


アレックス・ターナーは、マンハッタンの混み合ったバーでこの日2杯目のマティーニを飲み干しながら、10年前の2006年に初めてニューヨークを訪れた時の思い出話を語ってくれた。アークティック・モンキーズが米NBCの深夜音楽バラエティ番組 『サタデー・ナイト・ライヴ 』で生演奏し、大きな話題を集めたニューヨークのバワリー・ボールルームでコンサートを行ったのは、このイギリス出身のヴォーカリストでギタリストのアレックスが20歳の時のことだった。「デヴィッド・ボウイが楽屋に来たんだ」こう話すアレックスの強いヨークシャー訛りに気付かずにはいられない。「俺たちは何を話したらいいか分からなかったんだ。ただただ圧倒されてさ。あの頃は、クレイジーなことばかり起きてた」

2006年といえば、アークティック・モンキーズがデビュー作で英国における当時の史上最速売上記録を更新し、全英アルバムチャート1位を達成した年だ。しかし30歳になったばかりのアレックスは、当時その名声に苦しみ、2007年のセカンド・アルバムにも満足していなかったという。そしてアレックスはアークティック・モンキーズから距離を置くために、バンドのツアーでサポートを務めていた元ザ・リトル・フレイムスのメンバーで、リヴァプール出身の友人マイルズ・ケインとバンドを結成する。そのバンドこそ、アークテック・モンキーズのガレージロックのサウンドから進化した、ドゥーワップ、イタリアの西部劇のような音楽、アーケイド・ファイアの名誉メンバーのオーウェン・パレットによるストリングスのサウンドが共存する大規模なプロジェクト、ザ・ラスト・シャドウ・パペッツだったのだ。「作るべきじゃないアルバムを制作してるってことに、俺たちは十分気付いてた」ラスト・シャドウ・パペッツの2008年のデビューアルバムについて、アレックスはこう話した。「傲慢で上品ぶったアイデアだったんだ。金色の天井とかマジで豪華な場所でライヴしてさ」

このアルバムはカルト的な人気を博し、毎年最も優れた英国/アイルランドのアルバムに贈られる マーキュリー賞にノミネートされた。またアレックスとマイルズは、モデルと交際し、派手なスーツを身にまとい、ファッションショーを最前列に座って鑑賞する様子がタブロイド紙に取り上げられると、英国ではプレイボーイとしても有名になった。「(アークティック・)モンキーズは、バリアを張ってた」アレックスはこう言う。「ジャーナリストだけじゃなくて、みんなに対して。そうであってはいけないんだけどさ。俺が心を開くようになったのは、マイルズのおかげなんだ」

Translation by Miori Aien

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