なぜロバート・メイプルソープは人々の記憶に残り続けるのか

スミスとメイプルソープの滞在するチェルシーホテルに住んでいたサンディ・デイリーは、メイプルソープを主役に短編フィルム『Robert Having His Nipple Pierced』を撮影している。今回のドキュメンタリーフィルムで彼女は、彼らがチェルシーに住むジャーナリストを驚かせるために、彼の持っていたレザーのコスチュームや性具を部屋に飾ったことを明かした。デイリーは自分の見たものを率直に語る。メイプルソープが野心的だったかどうかを聞かれた彼女は「ええ、それは間違いない。2人ともね」とスミスについても言及した。

メイプルソープは有名になりたい、人々に知られる存在になりたいという欲望を隠そうとはしなかった。彼はそれも自分の芸術の一部であると思っていた。「彼は残酷なまでに自分の作品に対して正直に向き合っていた。人生に対しても」とバーバートは語る。「彼の生きた時代を考えてみるとそれはとても真実味にあふれた態度だ。70年代、本心をさらけ出しオープンになるのはクールではなかった。アーティストであること、野心的であることも格好悪かった。みんな、名声や幸運のほうから自分を捕まえてくれるふりをしていた。でも現実は違う。彼はそれを隠さなかった数少ない人間の一人だ。ウォーホルもそうだ」。

そう考えると、メイプルソープが写真に傾倒していたことに驚く。当時、多くの美術館やギャラリーは写真を正当なアートの形として見なしていなかった。彼は初期のコラージュの作品でゲイのポルノを使っていた。しかし他の人の撮影した写真を用いることに不満を募らせた彼は、自らポラロイドで撮り始める。その後高価なカメラを手に入れるまで、彼はポラロイドを使っていた。メイプルソープは、なぜ写真が簡単な方法のように思えるのかを説明している。彼は写真を「自分の手で時間をかけて模型を作らずに彫刻家になるのと同じだ」と説明する。ベイリーはこう語る。「彼の人生は一種のパフォーマンスアートだった。そして2つの方法でパフォーマンスを記録した。一つは写真であり、もう一つは人々に彼のことを語らせるやり方だ」。

Translation by Yoko Nagasaka

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE