エマーソン・レイク・アンド・パーマーの名曲10選

DAN EPSTEIN, RICHARD GEHR, JASON HELLER | 2016/04/03 15:05

| Photo by Michael Putland/Getty Images |

斬新で才気あふれるプログレッシヴ・ロックの巨匠、エマーソン・レイク・アンド・パーマーの輝かしい瞬間を振り返る。

「俺はひどく怯えていたよ」故キース・エマーソンは01年、モジョ誌のインタヴューで、77年の全米ツアー当初を振り返った。この時、途方もなく贅沢なロック・ツアーを敢行したエマーソン・レイク・アンド・パーマーが、大群のスタッフ、カール・パーマーの空手インストラクター、そして最も非現実的なフル・オーケストラまで同行したのは有名な話だ。ツアーに伴う莫大な費用や困難にもかかわらず、メンバーは"ファンに対して誠実でなければならない"と考えていたという。「このツアーでフィーチャーしたアルバム『ETP四部作』のピアノ協奏曲で、俺はオーケストラを従えて演奏したんだ。チケットを買ったファンは、レコードで聴くのと同じものをコンサートでも期待するだろ! 」

これがELPの偉大なる所以なのかもしれない。ザ・ナイスで演奏していたエマーソン、アトミック・ルースター出身のパーマー、そしてキング・クリムゾンのグレッグ・レイク。60年代のイギリスのバンドでそれぞれ活躍していた3人は、70年にエマーソン・レイク・アンド・パーマーを結成し、ロックでは初のスーパーグループとなった。実際、ELPがこの用語を定義したといってもいい。パンクが誕生し、プログレッシヴ・ロックを打ち負かす以前の、ミュージシャンが2分程度の長さのシングルや、ダンス・ビートに傾注していた時代、トリオは70年代にしか起こり得なかった成功を手にした。

思いがけずラジオでヒットした70年の哀愁漂う『ラッキー・マン』をはじめ、ETPは次々とアルバムを発表し、人々が地下室のブラックライトの下で聴いていたプログレッシヴ・ロックは、スタジアムいっぱいに広がる音楽へと様変わりした。メンバーの中心的存在であったエマーソンは、より偉大で壮大なサウンドを追及し続け(ステージ上で要塞のように立ち並ぶオルガンとシンセサイザーのおかげで)、ELPは最も魅力的で熟練したロック・グループの1つとなった。

それでは、彼らの輝かしい瞬間の数々を紹介しよう。

『ラッキー・マン/Lucky Man』(1970)


グレッグ・レイクが12歳で初めてギターを買ってもらった時に書いた『ラッキー・マン』。彼によると、ちょっとした中世のファンタジーをかいつまんだものだという。レイクは昔の記憶からこの曲を掘り起こし、トリオのデビュー・アルバムに収録した。曲のエンディングでは、キース・エマーソンが導入したばかりのシンセサイザーでソロを披露している。ファースト・テイクで収録したこの印象深いソロのおかげで、モーグのシンセサイザーは飛躍的進歩を遂げるこことになった。エマーソンはセカンド・テイクを録りたかったのだが、トラックが残っていなかったので、"このソロで我慢するしかなかった! "と言う。人々が『ラッキー・マン』の歌詞をジョン・F・ケネディ大統領のような公人のイメージと結びつけ始め、この曲独自の神話が生まれた。

『未開人/The Barbarian』(1970)


この時代の多くのプログレッシヴ・ロック・グループと同様、ELPも個別に演奏することが少なかったバンドだ。ELPの初期のヒット曲、『ラッキー・マン』は別として、彼らの圧倒的な可能性を存分に見せつけたという意味では、『未開人』が人々に向けた真のイントロダクションといえる。この曲は、激しいプロトメタルから、軽快なジャズ、そしてハチャトゥリアンの『剣の舞』へのオマージュのようなエマーソンのピアノ主奏へと、わずか4分半の間に切れ目なく移行していく。70年、エマーソンはイギリスのサウンズ誌でこう語った。「ニュー・アルバムのA面は、エマーソン、レイク、パーマーの、それぞれのバックグラウンドから生まれたそれぞれの発想が、グループとして音を作り出しているんだ。ELPの良いところは、互いの音楽に対して柔軟だってことだよ」
Translation by Aki Urushihara

RECOMMENDED

おすすめの記事