ジョージ・マーティンはいかにして世界を変えたか


マーティンはすでにたくさんのことで考えを変えていた。たとえば、誰がバンドのフロントマンになるのかといったことだ。アンドリュー・ルーグ・オールダムはミック・ジャガーをブライアン・ジョーンズの前に立たせることに決めた。しかし、メンバーとも時間を過ごし、熟考の末、マーティンは特にフロントマンを決めなくても構わないと決めた。これは大胆な方針だった。『ラヴ・ミー・ドゥ』の録音セッションの時に、マーティンが『恋のテクニック』をプッシュするのをやめてバンドを信頼することにしたのも、大胆な決断だった。『ラヴ・ミー・ドゥ』は4年も前に作られた曲だったが、まだ荒削りだった。我々が今、曲と自然に一体化していると見なしているハーモニカのファンファーレを追加したのはマーティンだ。ヴォーカルのサビはいつもジョンがソロで歌っていたが、ジョンがハーモニカに変わったので、ポールが受け継いだ。ポールがスタジオで歌ったのはその時が初めてだった。1週間後、マーティンは彼らを再集合させて、スタジオ・ドラマーと一緒に録音をやり直させた。気の毒なリンゴはタンバリンに格下げされた。

ジョージ・マーティンにも間違いはたくさんあった。リンゴにドラムができないと考えたのは間違いだった。『恋のテクニック』を録音すべきだと考えていたのも間違いだった。ビートルズのデビュー・アルバムのタイトルを『Off The Beatle Track』にしようと提案したのも間違いだった(もっとも、彼はこのタイトルをいたく気に入っており、後にビートルズ・ナンバーのオーケストラ・バージョンを収録した自分のアルバムのタイトルに採用している)。マーティンが天才であるがゆえの決定的な要素は、自分が間違えたと分かった時に、考えを素早く変えるところにある。前述の間違いも、当時の音楽ビジネスの現実にしっかりと沿った考え方ではあるのだ(現に『恋のテクニック』はヒットしたのだ。ただ、ビートルズ向きではなかったというだけのことである)。ビートルズのスキルは、プロデューサーとしてアーティストにこの程度まで期待できると教わっていた範囲を超えていた。ビートルズのスタジオでの要求もますます高度になっていった。これまでレコーディング・スタジオで出たことがなかったような音を作るよう、日常的に要求してくるのだ。しかし彼には、自分の考えをビートルズのスキルや要求に合わせて素早く順応させるという、驚くべきの才能があったのだ。

Translation by Kuniaki Takahashi

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