キース・リチャーズのワイルド伝説19選(後編)

Photo by Robert Knight Archive/Redferns

数々の危機を乗り越えてきたロックアイコンの驚くべき実話と尽きない強運。過剰行動、自暴自棄、尽きない強運から成る、よく生き延びた人生の驚くべき瞬間を紹介。後編は、1973年から1991年までの伝説をピックアップ。

〜前編はこちら

キース、乳母になる(1973)


Photo: Bob King/Redferns

1973年のオーストラリアツアーで、リチャーズはあるシングルマザーと医療用コカインつながりで知り合い、ツアーの合間の休暇期間に彼女の家に転がり込んだ。「メルボルン郊外の母子家庭の家に1週間住むなんてヘンな感じだった」、とリチャ―ズは自伝で振り返っている。「4、5日後にはオーストラリア人の普通のオヤジみたいになってた。「シェイラ、俺の朝メシは?」なんて言ってね。もうずっと前からそこで暮らしていたみたいな気分で居心地が良かった」キースの話によると、母親が仕事に行っている間は赤ちゃんの面倒も見ていた。「本人が知らないだけで、メルボルン郊外には俺にケツを拭いてもらった奴がいるんだよ」


プレーボーイ・マンションでのボヤ騒動(1972)

Photo: Robert Knight Archive/Redferns

1972年、ツアーでシカゴを訪れた時、リチャーズとサックス奏者のボビー・キーズは、ヒュー・ヘフナーのプレーボーイ・マンションに招かれ、洗面所でドラッグを使用している間、あやうく火事を起こしそうになった。「ボビーが、"ここは煙たいぜ"って言うんだ」リチャーズは『ライフ』で回想している。「少し経って、ドアを叩く音がした。ウェイターや黒スーツを着た奴らが水の入ったバケツを持って来た。奴らがドアを開けると、俺たちは完全に瞳孔が開いた状態で床に座り込んでいた」豪邸は火事を免れたが、ヘフナーはプレーボーイ・マンションをロサンゼルスに移すことにした、とリチャーズは付け加えた。

Translation by Rolling Stone Japan

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