「5人目のビートル」を超えたジョージ・マーティンという存在

またニューヨークシティでディスクジョッキーとして活躍していたマレー・ザ・Kのような洒落者もいた。彼は正真正銘のごますり屋の取り巻きで、1964年2月にバンドが初めてアメリカを訪れたときにはリンゴ・スターにおべんちゃらを使っていた。しかしKには、5人目のビートルという事業全体、つまり人を掴むPR、安っぽいヘッドライン、深みのまったくない大量のコンテンツを求める編集者たちを捉える、バントに関する新しい物語を作り出す新手の手法に関する才能があった。

しかし、マーティンはビートルズに最も近い存在であり、彼らのクリエイティブパートナーだった。ジョン・レノンとポール・マッカートニーが持っていた個人として、そして連帯した形としての才能が世界を変える何かへと花開いたとしよう。マーティンがいなかったら、それは違うものになっただろう。

彼らが持っていたのは芸術家としての生真面目さだ。マーティンは言葉であり、物事を円滑に進め、導き、示唆する方法だった。彼の生真面目さは強烈にクリエイティブな4人の男たちの世界の外側にあるものであり、他の人々が存在する世界へと発していた。ジョージ・マーティンがいなくても、ビートルズは存在しただろう。しかしそれはみんなの知っているビートルズではなく、最もビートルズらしいビートルズでもない。

彼らの日課はあまり多くはなかった。レノンかマッカートニーがマーティンの前にアコースティックギターを持って座り、最近作った曲を演奏する。このプロデューサーは高いスツールに座り、曲を聴き、考える。その曲が優れているかどうか。シングルにするのに十分なほどいいものかどうか。そして時間の経過とともに、彼は密かにその最も新しい才能の片鱗を賞賛する。

密かに内心で賞賛しても、それによってマーティンの判断力が弱まることは通常なかった。下らないという評価、必要な作業、そしておそらく最も重要であることだが、その新しい楽曲を完成させる上でスタジオに入ったらどういう方向性を取るべきかということを告げる上で判断力は変わらなかった。

Translation by Yoko Nagasaka

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