グレン・フライ、イーグルスの中心だった男

グレンは戦略家だった。彼とヘンリーのR&B、ソウル、カントリー、そしてピュアロックなどの音楽に対する深い造詣は、3世代にわたる人々を熱狂させた。彼らの成功は、80年から10年以上続いた活動休止中も決して色褪せることはなかった。

2013年のドキュメンタリー『駆け足の人生〜ヒストリー・オブ・イーグルス』で、すべてが赤裸々に語られている。映画の中で、友達が知るグレンの姿を見ることができる。おもしろくて、タフで、シニカルで、ルールをよく守る。テキサス出身のヘンリーとデトロイト出身のフライという、喧嘩好きなよそ者たちは、明快さとウィットをもってロサンゼルスを描いた。東海岸の批判的なインテリは彼らを無視し続け、時に嘲った。そんな輩を満足させることを、グレンはとうにあきらめていた。イーグルスにはグレンとヘンリーがいて、大衆の圧倒的支持があり、スキャンダルもあまりなく、鋭い大人の視点で同じカリフォルニアを見ていた。

後に、アルバム『呪われた夜』の曲作りをしているグレンとヘンリーの元に、私は数週間身を寄せた。私たちは人生、愛、そして音楽について幾日も語り合った。私は、陽の光に包まれた今までのスタイルに、夜の闇をまとった冒険を盛り込もうとする彼らを見守った。彼らは、『いつわりの瞳』や『呪われた夜』などの曲作りに慎重に取り組んだ。ひとつの言葉を紡ぎだすのに何時間もかけることもあった。ある時、グレンが私を呼んだ。私たちは、映画『あの頃ペニー・レインと』で、主人公のウィリアムが「この話はオフレコにしてくれ」と言われるシーンさながらの会話をした。結局、グレンは降参した。「何でも記録するんだな」と彼は言った。そして、おなじみの笑顔を見せた。「カッコよく書いてくれよ」

バンドの最高傑作『ホテル・カリフォルニア』で、とてつもない批判を浴びながら商業的な勝利を収めた後、グレンは良き家庭人にもなった。彼は力いっぱい、その役に取り組んだ。さながら、車に乗ってミシガンからローレル・キャニオンへと突き進み、初日にデヴィッド・クロスビーを見つけ、後ろはけっして振り返らなかった若き日の情熱が舞い戻ったようだった。

それではラストシーンだ。テレビドラマ『Roadies』の制作にあたって私は、バンドの敏腕だが気まぐれなマネージャー、プレストン役にグレンをキャスティングしたいと考えていた。返ってきた言葉に私は動揺した。グレンは健康状態が思わしくなく、入院先で闘病中というのだ。私は、嫌な想像をしないよう努めた。グレン・フライは、第4クオーターで逆転する男だ。今までもずっとそうだった。最後に彼と会ったのは夏で、また役者をやってほしいと私は言った。彼は乗り気だった。「テレビ番組のアイデアがあるんだ」と彼は言った。「『カウアイ ファイブ オー』っていうんだ。俺はハワイでいちばんタフな警官でさ、カウアイ島に住んでるんだ。オフシーズンには……」そして、再びあの海賊のような笑顔を見せた。「イーグルスをやるんだ。これぞ理想的な暮らしだろ?」

Translation by Naoko Nozawa

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