相次ぐスターの訃報、クラシック・ロック時代の終わりを考える

「彼らは昔のようには音楽を作り出せていない」という決まり文句をいくら避けてみても、やはり昔のようには音楽を作り出せていないのも事実だ。クラシック・ロッカーたちは、50年代のロックンロール、カントリー、ブルース、ロカビリー、初期R&Bを聴いて育った(影響力のおおもとであったB.B.キング、ピート・シーガーも逝ってしまった)。現代のポップ・ミュージシャンもこうした基礎のことは知ってはいるが、それとは全く違う独自の基盤も、あたりまえのことだが持っている。それがヒップホップであれ、パンクであれ、エイティーズのインディー・ロックであれ、マライア・キャリーであれ、2016年のポップ音楽はこれまでとは違いつつ、しっかりした根拠のある場所から生まれてきているのだ。ケンドリック・ラマー、アデル、アラバマ・シェイクスのアルバムからサヴェージズまで、そしてリアーナが連発する必殺シングルまで、その成果はめざましい。しかし彼らは概して、クラシック・ロッカーたちとは由来が違っている。ということは、我々はゆっくりと、音楽を作り出した人だけでなく、音楽への特有のアプローチも失いつつあるのだ。

もちろん、ミュージシャンはいなくなっても、音楽はいつもそばにいてくれるのはうれしいことだ。旧譜アルバムの売れ行きが、新譜を上回っているという驚くべき事実は、こうした音楽の人気の根強さを物語る(デヴィッド・ボウイ1973年の地味な名作『アラジン・セイン』ですら、彼の死後、ポップ・チャートにちらりと戻ってきたのだ)。ジェリー・ガルシアに代わってジョン・メイヤーをギタリストに起用した最近のデッド&カンパニーのツアーは、古い音楽が新しい演者で生き続ける可能性を示している。これからますます増えていく訃報の見返りとしてはもの足りないかもしれないが、音楽のパワフルな魅力はいつもそうだった。我々は楽しさ、エネルギー、ソウルに身を委ねて、どんな問題にも対処してきたのだ。その意味では、クラシック・ロックが今ほど不可欠なものに感じられることはない。

Translation by Kuniaki Takahashi

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