ジョン・スペンサーが語る人生の10曲 

By Christpher R. Weingarten
Photo: (Robin Little/Redferns/Getty)

ボス・ホッグ「アイ・ディグ・ユー」(1995年)
僕らはある種のタイプの契約を望んだんだ。もちろん、メジャー・レーベルの契約ではあるけれども、やりたかったことができるようにしたんだ。連中は僕らをスタジオ残して出て行ったよ。つまり、レコードを聴けばわかるけど、ちょっとファンキーだろ。手作り的なファンキーさで、よく磨かれたのや熟練のそれじゃない。僕らは慎重だったし、契約書をよく読んだし、何がどうなるのかを理解していたんだ。

ゲフィンに誘われていた時は、クリスティーナと僕は踏み込んでいって、デヴィッド・ゲフィンともミーティングをした。「それで、ソニック・ユースの例の曲について、どう思っているの?」とか、尋ねたのを覚えている。デヴィッド・ゲフィンはとても誠実だったよ。彼はこんなふうに言ってたと思うよ。「ご存じの通り、私はその曲について話すことはできないが、それ以外については信頼している」と。彼は非常に率直な人に見えたね。

ゲフィンとの仕事は悪くなかったよ。悪い経験じゃなかったけど、僕はそもそも音楽業界の大ファンではないしね。僕らは「ポスト・ニルヴァーナ」の2、3年の時期について話したんだ。あれはゴールドラッシュのような現象だった。僕はその現象にひどく怒っていて、だってあれは終わり以外のなにものでもなかったし、僕はアメリカのアングラとニルヴァーナから出てきて、なにもかもをぐちゃぐちゃにして破滅させるのに成功した人間なんだ。僕はその現象に無傷で入って無傷で抜け出たやつらがいたと思ってる。メルヴィンがそのひとつで、ボス・ホッグもそのひとつ。僕らは今、一緒に新しいレコードを作っているんだ。

ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョン「2 カインダ・ラヴ」(1996年)
あるオーストラリアのTV局に「レイジ」って深夜番組があって、ミュージック・ビデオを見せたりするんだ。で、その後、土曜の朝だか日曜の朝だかに「リカヴァリー」という番組をやるんだ。思うに、どちらかというとトークショー的な番組で、あれやこれやのコーナーがあって、バンドが登場するんだ。僕らはそこでこの曲を演奏した。リハーサールなしだったんだけど、僕の頭の中で何かが「やってやる!」ってところをカチっとクリックしたみたいで、キレたんだ。ジュダとラッセルは、単純に僕についてきてくれたよ。オーストラリア放送協会に神の栄光あれ。誰かが「放映中止だ!」って叫びながら入ってきたわけでも、終わった途端に怒り出す奴がいたわけでもないんでね。

笑えるのは2年前、ルーシー・ダイソンっていう若い女性監督で「バッグ・オブ・ボーンズ」って歌のビデオを撮ったときのこと。彼女はオーストラリア出身で、実はあの番組で仕事をしてて、あの時何かの料理の作り方を実演しようとしてたんだ。ビデオ作りで彼女に話しかけたら、こう言われた。「前に会ったことがあるのよ。あなたがリカヴァリーに出た時、わたしもあの場にいたの。ビデオ・クリップを見てくれたら、私が映ってるわ。キッチンのセットのコンロのところに張りついているわよ」だって。

僕は自分が「テルミン奏者」だったって意識は、本当にまったくない。テルミンが良いなと本当に思ったのは、映画『テルミン』を見た時だけで、すごいドキュメンタリーだったね。シネマ・ヴィレッジに見に行ったんだ。チケットを買ってロビーに入ったら、『オレンジ』のデカいポスターが貼ってあるじゃないか。僕が使っていたモーグ・ヴァンガードが線画で描かれているやつ。「うっ、クールじゃん」って思った瞬間のひとつだね。テルミンは美しい楽器だとは思うけど、時々ちょっとひ弱な感じがするんだ。僕はかなり間違った使い方をしているからだと思うけど。レオン・テルミンは、きっと認めないと思うけどね。
Translation by Kise Imai

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