ジョン・スペンサーが語る人生の10曲 

By Christpher R. Weingarten
Photo: (Robin Little/Redferns/Getty)
プッシー・ガロアから『フリーダム・タワー』まで、「可燃性」のブルース・パンカーを振り返る。

過去30年にわたって、ロックンロールの「火薬庫」といわれるジョン・スペンサーは、アメリカのアンダーグラウンドにおいて、絶えずもがき苦しみ、嘆き悲しむ存在であり続けた。それは、プッシー・ガロアの限界を超えた金属ノイズから、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンのハイオク入りの前衛ブルースまで。あるいは、ボス・ホッグのメジャー・レーベルでのダーティーなグルーヴから、ヘヴィー・トラッシュのロカビリーの轟音に至るまで連続している。そして、また再び、最も称賛されている彼のバンド、ドラムのラッセル・シミンズとギターのジュダ・バウアーと組んだジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンが、2015年に10枚目のアルバム『フリーダム・タワー:
ノーウェーヴ・ダンス・パーティ』で帰ってきた。

我々は彼を追って、非常に高く評価された彼の録音のいくつかについての話を聞いた。

プッシー・ガロア「HCリベリオン」(1985年)
プッシー・ガロアは友達のジュリー・カフリッツと始めたバンドだ。僕らはブラウン大学を中退したんだ。正確に言うとまだ休学中かもね。僕らは本物のハードコアは演ってなかったけど、絶対的に当時のシーンから影響を受けていた。ハードコアは僕にとって本当の大学だった。ライヴ・ショーのやり方、レコードの出し方やら、ショーの手配の仕方やら、どれだけ勉強になったか。

最初の2枚は、ヴァージニア郊外の住宅のリビングルームにある、バレット・ジョーンズのホーム・スタジオ、「ランドリー・ルーム」で録音したんだ。その最初のプッシー・ガロアのEP、「フィール・グッド・アバウト・ユア・ボディ」の録音で、生まれて初めてスタジオってものに入ったから、何一つわからなかったよ。いきなりプールの深い方に飛び込んで泳ごうとしたようなものだったね。

あの歌は、ジュリーの朗読でマキシマムロックンロール誌のお便りコーナーに届いた手紙を読んでいる。マキシマムロックンロールへの手紙のほとんどは手紙の主たちの「状況」に対する苦々しい不平不満なんだ。どうしたら物事が正しく行われるようになるのかとか、何が間違っていたのか、とかね。これってどこか馬鹿げてるだろ?なぜかというとこうしたことは根本的にパンク・ロックから派生する状況で、僕にとってそれは自由でアナーキーだってことなんだ。僕が思うに、プッシー・ガロアは間違いなくこれをやり込めようとしてた。どれだけ傲慢になってたんだ?それだけじゃなくて、プッシー・ガロアは何かと同じであることにもアンチだった。僕たちはめちゃくちゃ怒っていて、混乱している連中と同じだった。それで僕らも自分たちを取り巻く状況に当たり散らしていたんだと思う。つまり、ディスコード・レーベルの状況にね。僕らはシングルのアートワークに、連中に対するなかばイヤミを込めた。僕らは彼らみたいな人々を知らなかったし、生意気だったろうね。だけどそれが僕らがやってきたことのすべてだ。今じゃディスコードをとてもリスペクトしているよ。
Translation by Kise Imai

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