ロッド・スチュワート フェイセズ再結成、70歳で見つけた幸福

スティフェルは、ベックとスチュワートのリユニオンのアイディアを全面的に支援している。「ジェフ・ベックは類を見ない最高のギター・ヒーローだと思う。難しいことだし、彼らにはそれぞれの歴史があるけど、実現したらとてもエキサイティングじゃないか。このアイディアを気に入っているんだ、本当に。ロッド・スチュワートとジェフ・ベック、そしてロン・ウッドが一緒になって戻ってくるのを見て興奮しない人はいないさ」と彼は言う。

スチュワートは、競技サッカーからの引退で、こうした野心的な(この言葉は合わないかもしれないが)ツアーの時間が持てるようになった。2013年、左足の内側半月断裂という怪我まで、サッカーがツアーを行う上での蹉跌になっていた。「ひどく寂しかったさ。13年間、医師たちがすぐにサッカーを止めなさいと言うのを聞いてきた。こんなにひどいことになるまで続けたんだ」と彼は言う。スティフェルは、この状況にまったく異なる見方をしていた。「僕のジャック・ラッセル・テリアの餌皿が空になると、いつもロッドは自分の汚いスパイク・シューズをそこに入れるんだ。怖かったよ。テリアが噛みつくんじゃないかって心配していた。でも彼は怪我で懲りたと思うし、夢中になるのはサンデー・ゲームだけになったしね」

ロッドはサッカーでの怪我など心配などしたことがなかった。しかし声を失うことを考えると、夜も眠れなかった。 2000年、甲状腺にできた悪性腫瘍の摘出手術の後、彼は数ヶ月にわたって声を失った。しばらくの間、彼はもう復帰は不可能と思われていたし、あるカンターのおかげで再び歌を学ぼうとするまで、彼も造園家として真剣に次の人生を始めようとイメージしていた。「僕は自分の声を王冠の宝石のように大切にしていたんだ。うまくいかないわけじゃないけど、ハッピーでもなくなった。永久に失ってしまっていたら、自分の人生にとって巨大な空白ができていたね。ステージに上がるってことは、中毒性が高いんだ。この世には、これほどのドラッグはないね」

最近の朝のL.Aからの電話でのおしゃべりは、たった今終わったばかりのワークアウトについてだった。自転車による30分のヒルバイクの後で、フランク・シナトラから教えてもらった技で、ステージで呼吸を整えるのに役立つ潜水をしながら自宅プールをへとへとになるまで往復。「後になって、少しばかり陽の当たる幸運な所に座っていただけだと考えていると」と彼は言う。「そこへアラステアがケルティックのサッカー・ボールを持ってやって来て、『父さん、来てよ。ピッチに行こうよ』って言うんだ。で僕はというと『あー、ちぇっ、OKだ。行って、スパイク・シューズを取ってきてくれ、おまえ。すぐに行くから』」。

Translation by Kise Imai

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