革新的90年代バンド、フェイス・ノー・モア復活秘話

By Christpher R. Weingarten 2015/10月号 P18〜0 |
Photograph by Cristopher Wray-McCann
革新的90年代バンドが復帰のために辿った険しい道のり

バンクーバーでのライヴ会場となったPNE
フォーラムのバックステージ。フェイス・ノー・モアのフロントマン、マイク・パットンは誰に言うでもなく「ハロー、クリーブランド」とつぶやいた(ヘヴィメタルバンドを主人公にした映画『スパイナル・タップ』で、バンドメンバーがステージに出て行く時に口にする言葉)。

メンバー5人はお揃いの白い衣装に身を包み、あと数分でステージに上がる。4000人が待つこの会場で、17年ぶりの北米ツアーの幕が上がる。当日のサウンドチェックの時点でまだヴォーカルアレンジに手を入れるなど、ギリギリまで準備に追われていた。

そもそもフェイス・ノー・モアがステージに立っているということ自体が驚きである。サンフランシスコ出身のバンドは、レーベルとのトラブル、メンバー間の軋轢、オルタナティヴロックの時代に唯一無二のアーティスト性で大ヒットを飛ばした重圧などが続き、1998年に解散。ニルヴァーナやパール・ジャムの人気に火がつく前、彼らはメタルとファンクヒップホップを融合したシングル「エピック」をトップ10入りさせ、ロックの世界では「ヘア・メタル」(80年代に流行した派手なヘアスタイルをしたヘヴィメタルやハードロックバンドの総称)を超えた何かが動き出していることを暗示した。ニルヴァーナのベーシスト、クリス・ノヴォゼリックは、後に自分のバンドが成功したのはフェイス・ノー・モアが「道を拓いてくれたから」だと話している。

しかし、「エピック」を軸にした89年リリースのアルバム『ザ・リアル・シング』が100万枚のセールスを記録した後は、あえてヒットしないようあらゆる手を尽くしているかのようだった。続く92年のアルバム『エンジェル・ダスト』は前衛的なメタルを打ち出した難解かつ狂気を漂わせた内容で、あるレビュアーが「ヒットした次の作品としてはおそらく史上最高に非商業的なアルバム」と評したほどだった。彼らが次にリリースしたのは、コモドアーズのポップなバラード「イージー」を忠実にカヴァーしたシングル。不安をかき立てるようなグランジがブームの真っただ中で、おかしなほど時代に逆行した一手だった。レコード会社は、フェイス・ノー・モアに対する関心を急激に失っていく。「いろんなことが上手くいかなかった。まるで、いつもボールを蹴り損なうチャーリー・ブラウンみたいだ。俺たちが作りたいレコードを作るべきなのに、レコード会社の連中やマネージャーに説明するといつもケンカになった」とドラマーのマイク・ボーディンは言う。
Translation by Yukari Urade

TOPICS

RECOMMENDED

TREND