音楽史上最高のライヴ・アルバム ベスト50

10位 ニルヴァーナ『MTVアンプラグド・イン・ニューヨーク』(1994年)

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ファズと爆音を取り去ったニルヴァーナはむき出しの感情そのものだった。彼らはMTVのアンプラグド・シリーズの収録でマイナー曲や厳選されたカヴァー曲をアコースティック・ギターや穏やかなドラミングそして悲哀に満ちたカート・コバーンのガラガラ声に落とし込み、彼らの短いキャリアのなかでいちばん伝説に残るパフォーマンスを披露した。スペシャル・ゲストであるアンダーグラウンド界のヒーロー、ミート・パペッツが3曲分の演奏のためにステージでバンドをアシストした(「(MTVの重役たちは)シアトルから1台のバスがやって来て、アリス・イン・チェインズやパール・ジャム、サウンドガーデンなどが皆ニルヴァーナとジャム・セッションを行う予定だと思っていた」と番組監督のベス・ミラー・マッカーシーは笑いながら話した)。だがショーを完全に支配したのは、この番組で最も神聖視された放送回を落ち着かない調子で締めくくった、レッドベリーのカヴァー曲『ホエア・ディド・ユー・スリープ・ラスト・ナイト』のアレンジを印象的だが不安定な感じで演奏した瞬間だった。チャールズ・クロスによるコバーンの伝記『HEAVIER THAN HEAVEN カート・コバーン・バイオグラフィー』で明らかにされたように、このショーが本質的に憂うつなのは芸術的に意図されてのことである。コバーンはショーのプロデューサーにセットは“葬式のような”装飾にするよう念を押していた。by Brittany Spanos

9位 ボブ・ディラン『ロイヤル・アルバート・ホール』(1998年)

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このアルバムは1998年の公式リリースまでの30年間、ライヴ音源の海賊盤として出回っていたなかで最も有名なものであり、神話(ショーを妨害する観客のひとりがディランのことを「ユダ」と呼ぶと、彼は「俺はお前を信じない!お前は嘘つきだ!」と叫び返した)や根拠のない噂(本当はロンドンのロイヤル・アルバート・ホールではなくマンチェスターで録音された)の両方を生み出してきた。アコースティック・フォークからエレクトリック・ロックへのディランの転換は古くからのファンに裏切られたという気持ちを抱かせ、彼と彼の新しいバンド(ほとんどがロニー・ホーキンスのバンドメンバーから集められた)は敵意を持った観客を無理やりねじ伏せなければならなかったという伝説が広まっている。実際には当時のツアーでのほかのショーと同じようにアコースティック・セットでライヴが始まった。しかし、コンサートの半分を占めるエレクトリック・ロックの演奏中のディランは興奮して夢中になり、あらゆる汚い言葉を吐き捨てた。「これはヒ素のような音楽、それかもしかしたらパイドラー(ギリシア神話に登場する愛憎に翻弄される女性)のような音楽かもしれない」と1966年、ディランはプレイボーイ誌に語った。「フォーク・ミュージックというのは太った人間の集まりみたいなものだ」。by Douglas Wolk

8位 MC5『キック・アウト・ザ・ジャムズ』(1969年)

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フラワーパワー(ヒッピーによる反体制的スローガン)は忘れて、MC5のデビュー・アルバムにおける最初の10分間の激しいメロディの爆発と比べると、この時代のほかのガレージ・ロックバンドは弱々しくためらいがちな感じに見える。「世界中の革命の音を感じたい」と、堂々とした好戦的なシンガーのロブ・タイナーはエルドリッジ・クリーヴァーの言葉を引用しながら叫ぶ。そして全員の革命の準備が済まない間、レスター・バングスが1969年にローリングストーン誌で記したように、モーター・シティ5は「アイデア不足を隠す」ためにノイズと攻撃性を利用し、このアルバムがアンダーグラウンドのロックを挑戦的なギリギリのラインまで追い込んだというのが歴史で語られるところである。今考えると古臭く感じるが、「羽目を外そうぜ、マザーファッカー!」という開始の合図はバンドのレーベルのエレクトラ・レコードを激怒させたため、レーベルは編集盤と未編集盤の両方を用意した。ピーター・ドゲットが著書『There’s a Riot Going On: Revolutionaries, Rock Stars and the Rise and Fall of ’60s Counter-Culture』で伝えるところでは、未編集盤は小売チェーンのハドソンズにも送られたという。しかしハドソンズが在庫を送り返し、両バージョンの仕入れを拒否した際、バンドは全国向けの広告で「くたばれハドソンズ!」という最高のメッセージを彼らに送った。by Arielle Castillo

7位 グレイトフル・デッド『ライヴ/デッド』(1969年)

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アルバム『ライヴ/デッド』は、比較的低コストで制作できるライヴ・アルバムで一バンドがスタジオ代を返済する手段として行った初の試みというわけではなかったが、いちばん成功した取り組みであると言えるだろう。ワーナー・ブラザーズに18万ドルの借金があったグレイトフル・デッドは1969年前半に初めて16トラックの移動式スタジオを使って録音を実施した。「俺たちは音楽的にシリアスで長い曲作りを追求し、それを録音したいと思っていた」と、ジェリー・ガルシアは述べた。2枚組のレコード盤『ライヴ/デッド』はレコードの一面を費やす長さの曲『ダーク・スター』から始まり、『セント・ステファン』や『イレヴン』で更なる調和を追い求め、ロン「ピッグペン」マッカーナンによるレコード一面を支配する長さの扇情的な演奏が魅力のボビー「ブルー」ブランドのカヴァー曲『ターン・オン・ユア・ラヴ・ライト』と続き、レヴァランド・ゲイリー・デイヴィスによるブルース曲から『フィードバック』、そしてアカペラ曲『グッドナイト』ですべてが締めくくられる。グレイトフル・デッドは今までに録音されたコンサート演奏の才能を効果的に宣伝するこのアルバムによって、本格的な前衛芸術家集団として、非の打ちどころのないルーツ・ミュージックの修正主義者としての両方の才能を証明し、残りのキャリアを通してその才能をステージ上で何度も主張し続けた。by Richard Gehr

6位 キッス『アライヴ!~地獄の狂獣』(1975年)

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「最高のものを求めているなら、あなたはそれを手に入れた。世界でいちばん熱いバンドだ!」偉そうなオープニングの紹介からギタリストのポール・スタンレーによる観客の好きな飲み物についての冗談といったすべてが詰まった、この1975年に発売された2枚組のLP盤『アライヴ!~地獄の狂獣』は荒削りな70年代初期のキッスの作品と極限まで高められた魅力をきれいにまとめ上げていたおかげで、バンドにとって初となるトップ10入りを記録したアルバムとなった。『ストラッター』や『コールド・ジン』といったハラハラするようなグラムの名曲での力強いテイクは、どんなにたくさんの汗がバンドメンバーの化粧に毎晩染み込んでいたのかを明らかにした。どれくらいこのアルバムがスタジオで修正されたのかという意見は今日にいたるまで根強く残っているが、そんなことでこの作品の遺産的価値は下がらなかった。『アライヴ!~地獄の狂獣』は多くの続編を生み出しただけでなく、現メンバーによる2015年秋のキッス・クルーズのセーリングで本作品が完全に再現される予定だ。by Maura Johnston

Translation by Shizuka De Luca

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