音楽史上最高のライヴ・アルバム ベスト50

By RollingStone Japan 編集部
Photo: (Michael Ochs Archives/Getty Images)
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ライヴ・ショーの熱狂をそのままアルバムに収めるのは不可能だが、それは努力が足りないからではない。ジミヘンがモンタレー・ポップでギターに火をつけたライヴから、フェラ・クティとジンジャー・ベイカーのために200人弱がアビイ・ロードでスシ詰め状態になった演奏を収めたもの、さらにジョニー・キャッシュの『アット・フォルサム・プリズン』から『チープ・トリックat 武道館』といった、最高のパフォーマンスがなされたライヴ・アルバム50枚を紹介しよう。

ローリングストーン誌は、大部分が多重録音で作られたアルバム(ニール・ヤングの『ラスト・ネヴァー・スリープス』など)や完全なフェイク(重要作品だがビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーの『チープ・スリル』)は除外し、印象的な瞬間が収められた作品や出世作、伝説的なジャム・セッションなどに絞って選出を行った。

50位 ザ・リプレイスメンツ『The Shit Hits the Fans』(1985年)


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禁酒前のポール・ウェスターバーグ、クリス・マーズ、ボブ・スティンソン、トミー・スティンソンの4人は、ツイン/トーン・レコードからカセット版のみでリリースされたアルバム『The Shit Hits the Fans』のなかで、音楽史上最高の酒場バンドとして、最悪の酒場バンドとしての両方の一面を見せている。1984年、オクラホマシティの教会を改装したライヴ会場で吊りマイク2台を使って録音された24曲(うち19曲はカヴァー)には、ブルース、メタル、ソウルそしてビールを引っかけたようなでたらめな演奏が違和感なく混在している。「俺がポールか誰かにショーを録音してもいいか聞いた」と会場BoweryのマネージャーでDJのロスコー・シューメイカーは、ザ・リプレイスメンツのオーラル・ヒストリー『All Over But the Shouting』で振り返った。「“何で?俺たちはくそだよ”とウェスティらしい返事が返ってきた」。バンドはコミカルなブレイクダウンの間に、後にニルヴァーナやウィルコなどのポップを愛するパンクロッカーに影響を及ぼすことになったアルバム『Let It Be』時代を象徴する傷ついたスラック・ロックを披露した。『Sixteen Blue』や『Can’t Hardly Wait』の曲での正確で激しいテイクは、ジャクソン5の曲『アイル・ビー・ゼア』やレッド・ツェッペリンの曲『ミスティ・マウンテン・ホップ』のまったく誠意が感じられないカヴァーで相殺されている。バンドはこのアルバムで、R.E.M.やU2、シン・リジィ、ザ・ローリング・ストーンズを完全に台無しにするカヴァーを終始繰り広げた。by Reed Fischer

49位 リトル・フィート『ウェイティング・フォー・コロンブス』(1978年)


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リトル・フィートを再び返り咲かせた…まあ皆さんご存知のアルバム『ウェイティング・フォー・コロンブス』は、1977年8月にロンドンとワシントンDCで録音されたものである。録音の6ヶ月後にリリースされたこの作品はバンドのベストセラー・アルバムとなり、いつの間にかリトル・フィートの信頼を回復させていた。このライヴ・アルバムを制作するという計画を進めたのは、作曲センスが衰えたとしてバンド内で孤立していたプロデューサー、ローウェル・ジョージだった。『ディキシー・チキン』や『トライプ・フェイス・ブギー』などの曲を聴けば分かる通り、このアルバムは、彼らが今もなお有り余るほどのエネルギーと生演奏スキルに恵まれた、ニューオーリンズのファンクシーンにおける最強のバンドであることを見せつけるものだった。後にローウェルが効果を高めるために自分のリードヴォーカルとギターソロの大部分を多重録音し、細部までこだわった魅力的で力強いエッセンスをアルバムに加えた。本当にこのアルバム『ウェイティング・フォー・コロンブス』は時間をかけて着実に評価を高めていった。2010年のハロウィンにはフィッシュがライヴ・カヴァー・バージョンを演奏し、この作品に敬意を表した。by Richard Gehr

48位 ダニー・ハサウェイ『ライヴ』(1972年)


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ダニー・ハサウェイは、ギタリストのフィル・アップチャーチ、ベーシストのウィリー・ウィークス、ドラマーのフレッド・ホワイトといったシカゴ・セッションのベテランで構成されたバックバンドを従えて、この素晴らしいライヴセットで生き生きとしたスイングを披露し、観客を熱狂させた。彼がローズ・ピアノを激しく弾きながら12分バージョンの『ゲットー』を演奏し終えるとファンはすぐに盛大な拍手を送り、キャロル・キングの曲『きみの友だち』をゴスペルの陽気な歌声でカヴァーすると、ある女性は喜びの悲鳴を上げた。一方で、クインシー・ジョーンズとのコラボ映画『ハーレム愚連隊』のサウンドトラック・アルバムから1枚目のシングルとして1972年にリリースされた『リトル・ゲットー・ボーイ』は、発売前に肯定的な評価を得ることができた。このアルバム『ライヴ』はチャートの20位以内に入り、ハサウェイにとって初のゴールドディスク認定アルバムとなったが、完璧主義者で有名な彼はいつも通り自己批判を行った。「もちろん売り上げについてはうれしいけれど、アルバム自体は自分が求めたレベルには達していない。次の作品のためにもっと自分自身に磨きをかけなければ」とブルース&ソウル誌に語った。だが不運にも彼にそのような機会は訪れなかった。このアルバムは13分にわたる『エヴリシング・イズ・エヴリシング』の演奏で締めくくられているが、この曲は彼の統合失調症との闘いや1979年に33歳で自殺した彼の結末をさりげなく予見しているかのようだった。by Mosi Reeves

47位 ブギ・ダウン・プロダクションズ『Live Hardcore Worldwide』(1991年)

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1973年のヒップホップの誕生から1979年のシングル『Rapper’s Delight』のリリースまでの間、ヒップホップはもっぱらライヴで演奏するものだと考えられていた。しかしインターネット時代が到来するまでのこの期間はだいたいテープ交換や違法録音という形で記録が残っている。だから、ライヴ時代の最も鮮明な記録(1986年発売のシングル『South Bronx』)だけでなく、この1991年にリリースされた革新的なアルバムでなされた大幅な改造を聴いてみたければ、ヒップホップの歴史研究家、ブギ・ダウン・プロダクションズのKRS・ワンを頼るべきである。KRSはニューヨークやパリ、ロンドンで録音されたこのアルバムのなかで、ラスト・ポエッツなどの先人による話し言葉の詩やレゲエ称賛者の叫び、『I’m Still #1』を崩した感じで歌うラップ初期の時代のような観客を喜ばせるフリースタイルなどのバラバラなものを上手くつなぎ合わせている。by Christopher R. Weingarten

46位 シン・リジィ『ライヴ・アンド・デンジャラス』(1978年)

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1978年、当時超人気バンドだったシン・リジィは、同じグラム・ロック界の旅人デヴィッド・ボウイやT.レックスの作品を手掛けたことで名声を博したプロデューサーのトニー・ヴィスコンティと一緒に作品作りをすることを決意した。時間が限られていたのでライヴ・アルバムを作るという案に落ち着いた。そうしてでき上がったアルバム『ライヴ・アンド・デンジャラス』は批判を集める結果となり、『ダンシング・イン・ザ・ムーンライト』のような比較的メロウな曲ですら誰ひとり魅了することができなかった。ではどうして、このアイルランド出身バンドの作品は未だに話題にされるほど効果的に人を惹きつける存在になれたのだろうか。雑な部分を取り除くためにこのアルバムの75%はスタジオで録音されたとヴィスコンティは主張したが、バンド自身はその発言を強く否定している。「俺たちはすごくうるさいバンドだ」と、ギタリストのブライアン・ロバートソンは2012年、ギター・プレイヤー誌に語った。「そのなかでも俺はいちばんうるさい。だから俺のギターがいまいましいドラムキットの上で血を噴き出すほどうるさくなったら、君はギターをどうやってギターを交換する?」by Maura Johnson
Translation by Shizuka De Luca

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