音楽史上最高のプログレ・ロック・アルバム50選

10. イエス『こわれもの』(1971年)

ポップス系のラジオは、気が遠くなるほど非現実的な大ヒットを記録したイエスのシングル「ラウンドアバウト」のような曲を聴いたことがなかった。スティーヴ・ハウによるクラシックなアコースティック・ギターとエレクトリック・ギターの多様な変化や、リック・ウェイクマンによるヤン・ハマーが英国国教会で弾くようなオルガン演奏、ビル・ブルーフォードの乱暴だが万能なドラムさばき(特に全速力で進み、気が狂ったような中盤)を土台に構築されたこの曲は、ビルボードのチャートで13位に入り、アルバムとともに野心的なロッカー世代を形作るクラシック・ロックの定番作品となった。「俺は7歳の時に、父親のアルバム・コレクションのなかから『こわれもの』を見つけた」と、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのギタリストでハウをいちばん好きなギタリストであると考えるジョン・フルシアンテは述べた。「このアルバムをかけた時、リヴィングルームが母親の胎内のように心地良い場所に変わったのを感じた。彼らの音楽は神秘的すぎて、ほとんど実在しないもののようだった」。by W.H.

9. ジェネシス『眩惑のブロードウェイ』(1974年)

ロックのなかでもより精巧で魅力的かつ不思議な満足感があるコンセプト・アルバムのひとつであるこの2枚組の名作は、一連のシュールな冒険を体験するためニューヨークの地下へ降りていくプエルトリコ出身のストリート・パンクロッカー、ラエルをこれ以上ないほど芝居じみたピーター・ガブリエルが演じる作品だ。(「おとぎの国を跳び回ることが急に時代遅れになったみたいだった」とガブリエルは自身の伝記作家に説明した。)だが、ジェネシスを脱退する意志を表明していたガブリエルと作る最後のアルバムになるため、ベーシストのマイク・ラザフォードはサン=テグジュペリの『星の王子さま』をテーマにしたいと考えていた。レコーディング・セッションはストレスの多いものだったが、バンドが演奏した音楽にひとりで歌詞を吹き込み、早産の新生児である娘との時間を過ごすためにスタジオから長時間かけて通っていたガブリエルにとっては特に気疲れするものだった。『眩惑のブロードウェイ』は荒っぽい即興曲と厳格な管理下で作った曲でスタイルがコロコロ変わるが、「カーペット・クローラーズ」や「ザ・コロニー・オブ・スリッパーメン」などの目玉曲は、バンドによる芸術性と活動力の独特な融合を見せつけるものである。by R.G.

8. カン『フューチャー・デイズ』(1973年)

「『フューチャー・デイズ』は、カンと一緒に作ったアルバムのなかで俺にとっていちばんの作品だ」とヴォーカルのダモ・鈴木は述べた。「このアルバムを出した後、すごく楽にカンを脱退できたからだ。この作品以降はバンドから望むものが何もなかった。俺は音楽的に満足できたんだ」。本当に、このドイツの実験音楽ロッカーによる5枚目のスタジオ・アルバムに収録された4曲は、彼らがしたすべてのことを不思議なことに上手くまとめ上げているのだ。カンは一定のリズムで進むサイケデリック・ロックの3分間で彼らの本質をむき出しにし(「ムーンシェイク」)、マイルス・デイヴィスの『ビッチェズ・ブリュー』とアイザック・ヘイズの『ホット・バタード・ソウル』を足して2で割ったような曲を作り(「スプレイ」)、B面全体を費やす長さで目まいを起こさせるようなゆったりとした大曲「ベル・エアー」では月面で新しいクレーターを探す。そういったすべてがカンであり、平凡さはいっさい持ち合わせていない。by R.F.

7. ジェスロ・タル『ジェラルドの汚れなき世界』(1972年)

タルのリーダー、イアン・アンダーソンは、1971年の『アクアラング』をコンセプト・アルバムであると勘違いした多くの批評家たちに腹を立て、コンセプト・アルバムというコンセプト自体を茶化した次回作を作ろうと決意した。目まいがするほど多彩な変化がある44分近くの長々とした1曲のみで構成された『ジェラルドの汚れなき世界』のジャケットは、歌詞が架空の男子生徒による作品であると紹介する記事やアルバムのレヴュー記事まで掲載したモンティ・パイソンふうの新聞デザインである。素晴らしい悪ふざけだったが、あまりに巧妙にできすぎたジョークだったので実際にほとんどの人がその意味を理解していなかった。けれどもそれはこのアルバムを楽しむために必要というわけではなかった。当時ローリングストーン誌が言及していたように、「『ジェラルドの汚れなき世界』が珍しい試みであろうがなかろうが、ロックに従事する人間が4~5分という従来の曲の長さを超えようという野望を持ち、複雑さをすべて維持したままとても優雅に自分の目的を実行する能力があることがわかるのは素敵なことだ」。by D.E.

6. ジェネシス『月影の騎士』(1973年)

古き良きイングランドの夢は、ジェネシスのサード・アルバムで消費者保護運動家の悪夢に変わった。そしてそれは団結した創造的な集団として継続する。ピーター・ガブリエルは「ダンシング・ウィズ・ザ・ムーンリット・ナイト」のなかで「私の国はどこにあるのか教えてください(Can you tell me where my country lies?)」と歌う。アルバムの1曲目となるこの曲は言葉を濁すような島国の固定観念を嘲笑い、おちょくっている。いたる所でダンスを踊るギタリストのスティーヴ・ハケットにとって、『月影の騎士』は「古いイングランドの価値観が奪われて、町の商店が多国籍企業に取って代わられた」状況を映し出すものだ。このアルバムは多くの人がバンドの最高傑作であると考えるやや長めの曲「ファース・オブ・フィフス」だけではなく、初めてフィル・コリンズをヴォーカルに起用し、この後で繰り広げられるよりポップな曲の味見的な意味がある「モア・フール・ミー」なども収められている。ガブリエルは、アルバムに時々載っていたモンティ・パイソンふうのアーサー王の風刺画のコンセプトを次のツアーでも採用し、ブリタニアの騎士のコスチュームを着てステージに登場した。by R.G.

Translation by Deluca Shizuka

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