イーグルスのギタリスト、グレン・フライ逝去 享年67歳

ソロ・アーティストとしてもフライは、映画『ビバリーヒルズ・コップ』提供曲『ヒート・イズ・オン』、テレビドラマ『マイアミ・バイス』提供曲『ユー・ビロング・トゥ・ザ・シティ』などのヒット曲に恵まれている。特に後者は、1986年のワールドシリーズでニューヨーク・メッツが優勝した際のニューヨーク讃歌として再ヒット、さらにジェイ・Zが『ザ・シティ・イズ・マイン』でこの曲をサンプリングした時に再注目を浴びた。フライは都合5枚のソロ・アルバムをリリース、さらに俳優業にも手を出し、『マイアミ・バイス』、映画『ザ・エージェント』に出演。その映画の監督を務めたキャメロン・クロウが、1975年にローリングストーン誌のカヴァー・ストーリー用にイーグルスのインタヴューをしたことは有名で、クロウはその体験を元にして2000年に『あの頃ペニー・レインと』を制作したのである。

1993年に『テイク・イット・イージー』をカヴァーしたトラヴィス・トリットが関係修復を促したこともあって、フライ、ヘンリー、フェルダー、シュミット、ウォルシュという顔ぶれでイーグルスの再結成が実現、1994年の『ヘル・フリーゼズ・オーヴァー』(地獄が凍り付いても)というアルバムタイトルは、なぜイーグルスが元に戻ったのかを伺わせるものであった。再結成後のイーグルスは6年にわたってツアーを敢行したが、時おりフライの体調不良により公演延期を余儀なくされた。フライはその後20年にわたって病と闘うことになる。1998年、イーグルスは、『ロックの殿堂』を受賞、コアメンバー7名が『ホテル・カリフォルニア』と『テイク・イット・イージー』を演奏した。



2007年には、フライ、ヘンリー、ウォルシュ、シュミットという顔ぶれのイーグルスが、『ロング・ラン』以来のフルアルバム『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』をリリース。さらに、高い評価を受けたドキュメンタリー作品『駆け足の人生~ヒストリー・オブ・イーグルス』を発表し、再び長いツアーを開始した。2002年にフライは20年ぶりのソロ・アルバム『アフター・アワーズ』をリリースしている。

「僕はなにも毎朝起きるたびに、なんてこった!イーグルスのベスト盤の売上が3000万枚を超えたぞ!信じられない!などと思っているわけではないんだけど、それでもいくぶん、気持ちが騒ぐということはある」と、フライは2012年のローリングストーン誌のインタヴューで語っている。「こういうことがあった時には、気持ちを調整しないといけない。正しい考え方を保たないといけないんだ。ゴミ出しをして、犬のトイレ掃除をして、子どもを学校に連れて行っている限り、僕は正しい考え方を保つことができていると思っている。余韻に浸ったりはしていない。僕が仕事にでてくるのは、みんなが僕の言うことを聞いてくれるからなんだ。そんなことになるのは職場だけだからね。なんて話をよくメンバーとも笑い話をしているんだよ。今の自分たちの立場には満足している」

フライの盟友のバンドメンバー、マネージャー、家族が署名をした上記のイーグルスからの声明には、『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』収録曲で、フライが共作した『夢のあとさき』の歌詞も添えられていた。

まずは口づけと、一杯のワインを
時間があるなら、もう一度だけダンスを
僕の最後の願い、それはいつの日にか君にわかってもらうこと
僕がどんなにがんばったのかを、そして君のことをどれほど大切に思っていたかを

フライは妻のシンディと、3人の子どもテイラー、ディーコン、オーティスを残して先立った。エイゾフはWarpに対し、告別式については計画中だと述べている。

Translation by Kuniaki Takahashi

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