デヴィッド・ボウイ、69歳で逝去:約50年間人々を魅了し続けた人生

彼は1975年にこれまでの方向性とはまったく違うアルバム『ヤング・アメリカン』をリリースした。このアルバムにはソウルとファンク、ディスコミュージックを一体化させたタイトル曲や『フェイム』、ルーサー・ヴァンドロスと共作した『ファスシネイション』が収録されている。これは危険な動きではあったがイギリスで2位、アメリカで9位を記録した。翌年にリリースしたアルバム『ステイション・トゥ・ステイション』ではファンクミュージックをさらに深く掘り下げ、これまでに立証されているコカインの使用癖から立ち直り、明るく快活な『ゴールデン・イヤーズ』をヒットさせるという成功を収めた。しかしアルバム全体としてはアヴァンギャルドなものに対する、彼の新たな関心を示唆していた。
変化としては短いものだったが、ボウイはベルリンへ姿を消し実験的な音楽とドラッグに深くのめり込んだ。アートロックと空間的ミニマリズムを一体化させたアルバム『ロウ』で1977年を始めた彼は、壮大でアシッドな音楽と巡り会い、この傾向はブライアン・イーノとのコラボレーションによって一層強いものとなった。このアルバムにはイギリスでのヒット曲『サウンド・アンド・ヴィジョン』が収められ、象徴的な楽曲『ヒーローズ』を含むその年に追って出された同名アルバム『ヒーローズ』と、ヒット曲『ボーイズ・キープ・スウィンギング』を収録した1979年の『ロジャー』というその後2作のアルバムの方向性を決めるものとなった。ミニマリストの作曲家として知られるフィリップ・グラスは後年『ロウ』の楽曲を使って交響曲を書くことになる。

彼は70年代にドラッグをやめ、80年代になると彼は再びラジオ局で流れるような音楽に対する興味を新たにした。トム少佐のその後の物語を描いた『アッシュズ・トゥ・アッシュズ』と『ファッション』はイギリスで1位を獲得するという成功を収めた。両曲とも1980年にリリースされたアルバム『スケアリー・モンスターズ』に収録されている。1981年に彼はクイーンとデュエットした『アンダー・プレッシャー』をレコーディングしている。彼とフレディ・マーキュリーの声が紡ぎだしたこの作品はイギリスでは1位、アメリカでもシングルチャートのトップ30に入った。

1983年にはバンド、シックの立役者であるナイル・ロジャースを共同プロデューサーに迎えアルバム『レッツ・ダンス』を発表した。リードギターのスティーヴィー・レイ・ヴォーンらとのコラボレーションにより『レッツ・ダンス』『チャイナ・ガール』『モダン・ラヴ』といったシングルが生み出された。翌年、彼は『ブルー・ジーン』『トゥナイト』を発表しどちらもヒットを記録した。1985年にはマーサ&ザ・ヴァンデラスの心地よいヒット曲『ダンシング・イン・ザ・ストリート』をカバー、ミック・ジャガーとデュエットしている。この曲はイギリスで1位を既得、イギリスのシングルチャートでトップを獲得するのはこれが最後となった。


1983年1月21日、ニューヨークのサヴォイホテルで開催されたフランキー・クロッカー賞でのデヴィッド・ボウイとナイル・ロジャース。.(Photo by Ebet Roberts/Redferns)

Translaion by Yoko Nagasaka

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