マーク・ロンソンが語る「人生の10曲」

By Nick Murray
Photo by Monica Schipper/Getty Images
「アップタウン・ファンク」のプロデューサーがゴーストフェイス、エイミー・ワインハウス、ポール・マッカートニーとのコラボについて語る。

マーク・ロンソンはダウンタウンのトレンドセッターに向けてヒップホップをかけたり、Hot 97のファンクマスター・フレックスの前座を務めたりしながらニューヨークのクラブDJとして活動を開始した。以来彼は大西洋を股にかけてゴーストフェイスやNasにはラップ、アデルやエイミー・ワインハウスにはポップ・ソウルのレコード、そしてポール・マッカートニーやデュラン・デュランの新曲をプロデュースしている。ロンソンにとっては、様々なプロジェクトもそれほど差を感じないそうだ。「『バック・トゥ・ブラック』を作った時もそうだけど、RZAがアルバムのすべてのトラックを聞いたら、サンプリングしたがりそうになるように心がけていたんだ」とロンソンは言う。

ブルーノ・マーズをフィーチャーした80年代初頭のR&Bへのトリビュートである『アップタウン・ファンク』でチャートのトップに上り詰めた39才のプロデューサー、マーク・ロンソンにとって大切な10曲を教えてくれた。そして、著名なアーティストたちとのスタジオ・セッションの際の裏話なども聞かせてくれた。


マーク・ロンソン feat. Debonair & Sha Stimuli, Turntables/ターンテーブルズ』(1998年)



ニューヨークのヒップホップ・シーンの要だったファンクマスター・フレックスやクルー、そしてジェシカ・ローゼンブラムのような有名どころのDJだったら、誰でもレコード契約が結べた時代があった。そんな中毎週日曜日の夜にトンネルでフレックスとパーティを開いてたんだ。彼女にこのアルバムに参加してくれるか聞かれたけど、僕はもうすっかり取り込まれてた。ビズ・マーキーやマックス・グレイザー、サイファ・サウンズの一団に含めてもらえるなんてすごいと思ったね。

その頃パラディアムで演奏してたんだ。そこでは『プラネット・ロック』っていうパーティがあった。それから僕はダウンタウンのニュー・ミュージック・カフェ(今のシャイン)みたいなこじんまりした場所でもっと小さな自分のパーティをするようになった。このパーティはよりダウンタウンっぽかったから面白かったよ。スケートボーダーや薬の売人、かわいこちゃんとかまぜこぜだったけど、トンネルに集まる人たちよりはいけてたよ。それからジェイZ、ビギー、ビッグ・パンが僕らのちっぽけなパーティにやって来るようになったんだ。最高のパーティだったよ。彼らは僕にとっての英雄だからね。


ジミー・ファロン『イディオット・ボーイフレンド』(2002年)




ニッカ・コスタのアルバムをプロデュースし終わったところで、この仕事を引き受けた。ジミーのレコードはスケート・パンクとかビースティ・ボーイズなんかをミックスしたものになるはずだった。僕らは彼の曲をプロデュースしてアレンジしただけでなく、スタンダップ・コメディのライブ録音の方法を勉強しながらあちこちの大学のキャンパスを歩きまわった。これがよかったね。ジミーと一緒にペンシルベニア州のスクラントンなんかをグレイハウンドバスで動きまわったよ。

ライブ盤を録音するときになって僕が『めちゃくちゃすごいミュージシャンと、ニューヨークのハードコア・バンドを集めなくちゃ』っていったら、ジミーは『ちがう、ちがう。すごくなくていい。あまりすごくないほうがいいんだ』と言った。だから僕は『そんなにすごくなくていいなら、僕が喜んでベースを担当するけど』と言った。結局、2003年のザ・ストロークスのオープニング・アクトのためのジミーのツアーにベーシストとして参加する羽目になったんだよ。

Translation by Kise Imai

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